母の凄絶な臨終
母の診断名は十二指腸乳頭部癌であった。全身への転移は認められず、十二指腸壁内へ浸潤しているものの根治手術可能とのことであった。しかし、この根治手術は膵頭十二指腸切除術という、消化管疾患の中でも最も難易度の高度な術式である。術後1週間のICU観察の後、一般病棟に戻ってきた。
術後より38度以上の熱発が見られ、一般病棟に戻ってからも毎日38度以上の熱発が続いた。CT検査や造影検査では膵液漏や胆汁漏、腹腔内膿瘍などの合併症は認められなかった。 食欲はほとんどなく、下痢便が毎日4〜5回持続していた。
同様の状況が術後1カ月と2週間持続し、改善の傾向は全く認められない。母の気分転換も考えて、私は思い切って自院に転院させる決心をして連れて帰ってきた。自院は当時有床診療所であったからできた判断であった。しかし1週間様子を見ても一向に変化が見られず、大学病院入院中と何ら変わるところはなかった。
空腸と胃の吻合部を観察したい気持ちが、大変な状況を知ることとなった。なんと出血性の胃潰瘍が10数個存在し、さらには吻合された空腸は完全に絨毯を敷きつめたようにカビがびっしりと生えているではないか。「なんということだ、大学に連絡して再手術をしてもらわなくては」。母にこのことを告げると、母は「お父さん今までありがとうございました」と父に一言告げると同時に大量の吐血を来し、すぐに心停止、呼吸停止となってしまった。看護師に私の血液を50㎖ずつ5〜6回採血してもらい、心マッサージしながら輸血を繰り返し、見舞いに来てくれていた親族にアンビュウバッグを揉んでもらい、ボスミン注射も3回試みたが全く反応なく、40分以上の奮闘もむなしく、残念無念の至極。 死亡宣告を父に言い渡すこととなってしまった。
もっと早く、大学病院入院中に内視鏡をしていたら! 執刀医を含め治療にあたってくださった誰もがこんな合併症? が発生していたとは想像だにできなかったのであろう。母に苦しい思いをさせ死亡させてしまったという虚しさ、罪悪感がいまだにぬぐい切れないでいる。
膵頭十二指腸切除術後の絶対に起こしてはならない重篤な合併症に、ぜひ書き加えていただきたい。
(顧問 藤戸 好典)