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わたしたちの主張
令和2年10月15日
遠足の意義とは
 私が、「コンビニのおにぎりって、おいしいよね」と話しているのを聞いて、妻が中学3年の時の遠足の思い出を話してくれた。
 『遠足のコンセプトは「お弁当は白いおにぎりだけ(ノリも梅干しも何もなし)。それが一生の思い出になる」という、訳が分からないものだった。遠足目的地(?)は、山(標高は分からないが、数百メートルくらいだったと思う)を2つ越え、歩く道は途中からけもの道。当日はあいにくの雨。「遠足行くの? まじっすか?」な雰囲気の中、カッパを着て出発。みんな黙々と登り、頂上に到着。
 なんの感動もないまま、次の山に向かうため下山していた、その時に事件は起こった。雨で滑りやすくなっていた地面に足をとられ、斜面を滑り落ちそうになる私。すかさず、横にいた親友が「がちゃ(たれ目がガチャピンと一緒なので、私につけられたあだ名)、大丈夫か!!」と私の腕をつかんで引き上げてくれた。本当に、怖かった。あのまま滑り落ちてても、骨も折れてなかったと思うのだが、高さは結構あった。滑り落ちたことを誰にも気付かれず、置いていかれなくてよかった、と今でも思う。
 その後、2つ目の山の頂上に到着。雨に濡れた寒さと疲れで、みんな悲惨な表情で無言でおにぎりを頬張る。そして、下山。みんなで、やけくそで歌をうたっていた。遠足って、もっと和気あいあいと楽しいもののような気がするのだが。
 しかし、恐ろしい事実が1つあり。遠足から30年以上たった今日、遠足のコンセプトがしっかり遂行されていることに気付く。小学校から高校の遠足の記憶で、これほど鮮明に覚えているのは、この遠足だけである。多分、あの時の遠足のことを、みんな覚えているのではないだろうか。楽しい出来事だけが、楽しい思い出になるわけではないと思う』
 この話を聞いて、自分の遠足のことを思い出してみようとしたのだが、小学校のバス遠足で、バスの隣の子が、酔って吐いてしまった思い出しかなく。遠足とは、一体何のためにあるのであろうかと、感じる秋の夜長である。    (肥前はひとつ)
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