HOME » 協会新聞 » 202205「廃院より承継を」

バックナンバー

 

わたしたちの主張
令和4年5月15日
「廃院より承継を」

 私は1994年に開業し、今年で28年目になります。1954年に当地(現在の武雄市北方町)で生まれ育ったことから、「開業するなら故郷へ感謝の気持ちをもって」と内科・循環器内科・皮膚科のニコークリニックを開業しました。ただ、残念なことに3人の子供は医師になりませんでした。借金が無くなった還暦過ぎの頃より、クリニックの将来について悩みました。過疎化が進み開業当時あった旧北方町の診療所は3施設が廃院されました。その度に患者さんが紹介状(情報提供書)を持って来られました。ありがたくはありましたが、正直複雑でした。廃院に対し愚痴をこぼされる方もいました。その度に「そんなに言われたくない」と思うようになり、トラウマにもなりました。
 私は酒類問屋の次男として生まれました。しかし、2代続いた家業は承継のタイミングを失い、多額の負債を抱え倒産による廃業に追い込まれました。このこともトラウマになりました。
 この2年のコロナ禍で受診率が低下し、おまけに2回の大水害という特殊事情も重なり周辺地域の人口は減少、年率マイナス5%程度の業績悪化が2年続き、年齢的にも承継には良いタイミングと判断し、知人である桑原淳生先生(元大町町立病院院長)に話を持ち掛けたところ快諾されました。過疎地のため国道沿いの隣の医療機関に数キロもあったりしますが、かかりつけ医療機関は、患者さんの1~2割程度は歩いて通院可能な医療機関であるべきと思います。
 さて、桑原先生は4月より勤務し、6月に私と交代し新理事長になられます。私は、自己破産した父と違いめでたく法人より退職金をもらえます。理事長交代について患者さんに話したところ、ある80代後半の女性は「先生が跡継ぎを決めてくれたので安心しました。ありがとうございます」と礼を述べられた。一方、99歳の老女は私が辞めると思ったのか「先生にみとってもらおうと思っていたのに」と涙を流しながら手紙を渡された。「私も勤務医として仕事を続けるので心配せんでいいよ」というと落ち着かれ、簡単なメモを渡すとやっと安心された。理事長を辞めても仕事があるのが臨床医のぜいたくな悩みで、医師になって本当に良かったと思いました。6月からは週17時間勤務の予定です。これからは何より老いてもしたたかな女性のために、もう一踏ん張りしなくてはならないと言えそうです。
 人生百年時代に対応した事業の承継がスムーズにできてこそ、過疎地の住民に胸を張れる理想のかかりつけ医と言えるのではないでしょうか? そのためにも、これからは桑原先生の頑張りに期待するしかありません。
(常任理事 田中 裕幸)

●お問い合わせ ●リンク