山口県の周防大島で3日3晩、行方不明だった2才のよしきちゃんが救出されたことにはびっくりした。大分県の尾畠さんがボランティアで捜索に来て発見した。
尾畠さんはよしきちゃんが8月12日に行方不明になっていて、14日になってもまだ見つからないと知って「いても立ってもいられない」という気持ちになった。見つけようと思って捜索に来た。2~3年前、大分県でやっぱり2才の子が行方不明になった時に、山を上の方に行っていた事から、尾畠さんはよしきちゃんも上の方へ行ったのではないかと考え「自分は山を捜す」と決めて来た。8月14日、よしきちゃんの家族と会い、「自分が見つけて来るから」と約束して捜索に出た。そして約束どおりに、尾畠さんは、自分の手でよしきちゃんをかかえて帰って来た。「自分は約束は必ず守る」からと記者会見では言っていた。よしきちゃん発見時の様子について説明された時、尾畠さんは「自分の声は大きくないが」と言われていたが、若くてはっきりした声だった。何よりも「よしくーん」「よしくーん」と呼びかけた声は、よしきちゃんには愛情のある声だと感じられたのではないだろうか。尾畠さんのその声に、よしきちゃんは「おじちゃん、ぼくここー」と返事をしたのだろう。よしきちゃんが山の上の方に行ったのだろうと考えた事がピッタリ当たって、本当によしきちゃんを見つけた時は、頭が真っ白になったと言われた。尾畠さんは、よしきちゃんがアメを取り上げて「ガリッガリッ」と噛んだその音を聞いて、この子は助かると確信したと言われた。
よしきちゃんをつれて帰った時、お母さんのうれしそうな顔は、一生忘れんやろなといった。尾畠さんが捜索したのは自分が恩を受けた世の人々に「恩返しをしたい」という気持からの行動であった。
朝日新聞の8月30日の「ひととき」の欄には、尾畠さんのこの気持から、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出した。尾畠さんの「相手の喜ぶ笑顔が自分の喜び」というその生き様そのものに神様は光を当て、大切な命を救うという大きな喜びのご褒美をくださったのだ。そして私もその喜びをいただいた一人なのです。と書かれている。
人は自分のために働く以上に、人のためには働けるものだろう。尾畠さんは周防大島から大分の自宅に帰ると、8月18日には、広島県の呉市の災害救援ボランティアとして活動されているという。
(新太郎)