SDGsは悪化する地球環境が引き返せないほど悪くならない程度の成長に、人類の自然への関与をコントロールすることとされており、WHOもこれを目指している。そこに新型コロナのパンデミックやロシアのウクライナ侵略が加わって、先が見えにくくなっているのが私たちの現状ではなかろうか。 成長の中心は生産力の増大であるが、生産力とは人間が自然に働きかけて価値(使用価値と交換価値)を作り出す力のことである。生産力を増やしながら大気中の二酸化炭素を減らせるのだろうか。 気候危機は日本でも各地で発生し、佐賀でも豪雨災害を最近2度にわたって経験したところで、他人事ではない。2019年の10月に発生した台風19号による豪雨ではあの信濃川が決壊した。カリフォルニア(2022年)やオーストラリア(2019?2020年)の巨大な山火事も記憶に新しいし、南極や北極の氷が溶け続けているのも、テレビで何度も報道されている。気候危機への対処、二酸化炭素の排出削減は待ったなしである。 気候危機は放置していると子の世代、孫の世代へと一層の厳しさで負担が押しつけられていく。 では、どのようにして、ゴールに向かうか。成長一辺倒を止める必要がある。無政府的な生産ではなく、生産をコントロールし、供給を合理化する必要がある。 新型コロナパンデミックの中でまずマスクが足りなくなった。消毒用のアルコールも足りなくなった。コロナ感染がまん延化すると解熱鎮痛剤や総合感冒薬が足りなくなり、漢方薬も供給が間に合わなくなった。 国民にとって必要なものがなくて、企業がもうかりそうな商品があふれている生産力の高さは一考の余地がある。しかも国民にとって必要なものでも、あまりもうかりそうにないマスクなどの生産は外国の安い労働力頼りであった。 身の回りの消費だけにエコを気遣うだけでは足りない。生産力を脱成長に思い切って、切り替える必要がある。 電気自動車には蓄電池が必要で、蓄電池にはリチウムとコバルトが使用される。リチウムはアフリカのコンゴで、コバルトは南米のチリで掘り出される地下資源であり、コンゴやチリの環境破壊はすさまじいとされる。電気自動車すなわちエコカーであればよいわけではない。 生産力を見直し、脱成長を受け入れる必要があると考える。生産力の見直し、脱成長が国民の日常生活の不自由さの原因になるかというとそれほどのことはない。必要なものや必要なエネルギーは充分あるのだから。 脱成長を取り入れたスペインのバルセロナの例がある。2011年に始まった若者の社会運動は2015年の地域密着型の市民プラットフォーム政党の党首が市長選で勝利した。2020年には気候非常事態宣言を採択し、行動計画は包括的で具体的な240項目に及ぶ二酸化炭素削減計画である。 (常任理事 山口 宏和)
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