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東日本大震災 救援ニュース
全国保険医団体連合会より


  2011年5月25日

■宮城県E先生「復興は産業優先。医療機関が抜けている」

◇行動日(5月18日)

◇行動地域(仙台市宮城野区、石巻市)

◇訪問者名(村上(愛知)、樋下(京都))

◇訪問結果 訪問数 2件(面談 1件、不在等 1件)

◇被災状況(全半壊・流失 1件 、一部損壊 0件、その他 0件)

◇お見舞金支給(全半壊・流失 1件、一部損壊  0件)

 

【訪問の概要】

*E先生-医科-(石巻市の診療所が全半壊、昨日仙台市青葉区の自宅を訪問したが不在。電話連絡で診療所の片付けに行っていらっしゃるとのことで石巻市の診療所を訪問)

<被害状況>「診療所兼自宅の1階診療所部分が全壊。内視鏡、レントゲン等機器も全滅。1階の天井まで水が来たので、その後ぼろぼろと天井が落ちてきている。開業11年目で、機械もちょうど入れ替えたところだった。

 地震当日は、直後に従業員を帰し、高いところへ避難するよう指示。自身は母親とともに家に残った。北上川からあふれた津波が徐々に周囲に押し寄せてきて、水かさが増していった。川上に向かって避難する車が渋滞を作っていたが、川上からも水が押し寄せてきて車は流されてしまった。そのうち階段も2階まで残り2、3段のところまで水がせまってきたので、母親をロフトに避難させた。突然知らない人が二人ベランダから入ってきたので、えらく早く救助が来たかと思ったが、車がたまたまうちの家に流れ着いて、そこから脱出してきた人だった。結局そこで水は止まった。その後第二波、第三波と津波が来るたび、家がぎしぎしと揺れて、火事も見えていた。

 はじめの1週間は、冷蔵庫の中身でしのいだ。しかし飲み水がなくて大変困った。外に出られるようになって裏の山の沢水を汲みに行った。3日間水が引かなかったが、4日目からは港小学校の診療支援に入った。避難所も当初は極度に飲み水・食糧が不足していて、一日二口分くらいしか水がなかった。支援に入ったことで、水を少しもらうことができたが、そのような状況なので申し訳なかった。1週間後でも一人一日おにぎり一つだった。」と甚大な被害の状況を語っていただいた。

<今後の見通し>「はじめは再開しようと思いヘドロを掻き出していた。同級生や助かった患者さんからも再開して欲しいという要望がある。しかし、新しい都市計画がどうなるのか。診療所前の国道から川よりは住居が建てられないと聞いている。人が住まないとなると診療圏がなくなってしまう。患者さんもたくさん亡くなった。昨日、宮城県のガスが復旧して支援組織の解散式があったが、ここはまだガスが復旧していない。結局港の近くは再建対象ではないということか。私はここで育った。私もがんばらなくちゃと思うが、今の状況を客観的に考えると、ここでの再建は99%無理だと思うようになっている。当初は、その日毎にがんばろうと思うことと、無理だと思うことが変わり、夜中に目が覚めてそのことを考えて眠れなくなっていた。従業員は一時解雇とした。再開するときには声をかけると言ったものの・・・。

 しかし、いまだ瓦礫に取り囲まれ、満潮時には周囲は冠水し、長靴でも歩けない。医療機関なので優先的に撤去してもらえないかと行政に陳情もしたが、道路の復旧が優先だとして、要望としてお聞きしますという程度。いままで市に対して健診や予防注射など協力してきたが、結局そのことは考慮されない。行政の受付もよそからの応援隊で、これまで繋がりがある健診担当部署と、瓦礫対応の部署が違うからだろうか。

 病院でもない診療所は、結局個人商店の一つとして考えられている。医師会もクールだ。被災者支援は呼びかけるが、被災会員を助けようという機運はない。

 瓦礫と水を毎日見ているともう嫌になる。こんなところにどうやって年寄りが歩いてくるのか。診療所を直して再開しても収支は合わないでしょう。会計士もいままでと同じ体制では無理と言っている。

 復興は産業優先で、医療機関が抜けている。結局ここは無医地区になる。はかなく消えるしかないのか。個人商店でもこれまで地域医療を担ってきたのに」と語られた先生と石巻市の瓦礫の山の現状を目の当たりにして言葉がない。

<協会への要望>「休業保障の保険料は、そのまま引き去られ続けるのか。口座に入金がない中で不安だ。また、天災での休業は対象にならないと聞いて、使えればずいぶんと助かるのにと思う」と話されていた。

 

◇行動日(5月19日)

◇行動地域(仙台市宮城野区)

◇訪問者名(村上(愛知)、栗城(保団連))

◇訪問結果 訪問数 1件(面談 1件、不在等  件)

◇被災状況(全半壊・流失 1件 、一部損壊  0件、その他  0件)

◇お見舞金支給(全半壊・流失 1件、一部損壊 0件)

 

【訪問の概要】

*T先生-歯科-(多賀城市の診療所が全半壊、仙台市宮城野区の自宅を訪問)

<被害状況>多賀城市のジャスコ内で診療していて、被災。本人、家族、従業員はみんな無事。

<今後の見通し>ジャスコの再開が不明なので、そのまま再開する目途がつかない。他所での診療再開を考えて探した。中野栄駅前に3年前から空いている歯科医院(後藤歯科)があり、銀行から融資もしてもらえることになった。6月を目処に診療を再開する。

<協会への要望>取りあえず、銀行から融資を受けられたが、無利子の融資などがあれば、助かる。

 「6月に診療再開」とうれしそうに語られた先生の笑顔が印象的だった。

  2011年5月24日

■宮城:「もうこうなったら心機一転でやるしかない」

5月16日から19日まで、今回の大震災で全半壊に遭われた宮城協会の被災会員の最終訪問行動のため、村上(愛知)、樋下(京都)、栗城(保団連)の各氏3名が宮城協会入りした。

 5月16日午後3時に集合し、打合せを済ませ、亘理郡亘理町の被災会員を村上(愛知)、樋下(京都)チームが訪問し、お見舞金をお渡しした。

 5月17日は、午前9時から仙台市青葉区、若林区、太白区 泉区の被災会員12人を村上(愛知)、樋下(京都)チームと宮城協会の事務局の方の協力もいただき、青井(宮城)、栗城(保団連)チームの2チームで訪問し、お見舞金をお渡しした。

 5月18日は、仙台市宮城野区の被災会員の自宅と昨日訪問した仙台市青葉区のご自宅がお留守だった被災会員が石巻市の診療所の瓦礫の後片付けに行っていらっしゃるとの電話で、村上(愛知)、樋下(京都)チームが石巻市の診療所を訪問し、お見舞金をお渡しした。

 5月19日は、今回訪問する予定名簿の最後の被災会員で昨日お留守だった仙台市宮城野区の会員と連絡が取れたので村上(愛知)、栗城(保団連)チームで自宅を訪問し、お見舞金をお渡しした。

 今回の最終訪問行動では、14人の被災会員や奥様に直接お会いし、被災の状況、診療再開の見込みや現状、政府への要望などお聞きした。

 以下に16~17日の概要を報告する。

 

◆行動日(5月16日)

◇行動地域(亘理郡亘理町)

◇訪問者名(村上(愛知)、樋下(京都))

◇訪問結果 訪問数  1件(面談 1件、不在等  0件)

◇被災状況(全半壊・流失 1件 、一部損壊 0件、その他 0件)

◇お見舞金支給(全半壊・流失 1件、一部損壊 0件)

【訪問の概要】

*M先生-医科-(仙台市青葉区の診療所は被災なし、自宅(亘理町内)を訪問)

<被災状況>津波が自宅一階に流入、全半壊状況。Ipodで自宅の様子を画像で見せていただいた。ログハウスの階段がはずれ、ピアノとともに壊れていた。現在、津波被害地域の再建計画が未定のため今後への見通しは立たず、アパートを借りている状況。

従業員2人の自宅が津波で被害を受けた。

<診療の状況>停電、断水にともない透析が不可能になった。12日は薬でしのいで13日に消防(応援に来ていた愛知の消防)から患者受け入れ可能な病院がある旨連絡があった。14日から本格的に患者を移送し、機材、スタッフも送ることで透析治療を継続できた。スタッフの人件費は持ち出し、3、4日で終わったので何とかなった。その後、電気が復旧し、水は給水車が手配でき、一週間後には自院で透析を再開できた。再開後の変化として、避難の影響で透析患者数が90人から80人に減少した。今は、夜間の透析は取りやめている。今は医薬品の供給には問題ない。

<要望>医療全体の連携、連絡体制の構築が必要。患者の移動の調整は大変。非常時に対応できるよう自家発電施設の必要性がある。30Aの発電機を借りてやってみたが、まったく能力不足で機械類を動かすことはできなかった。業者に調べてもらったら500Aの能力が必要だといわれた。高額な施設になるので個人では難しい。公的な補助があると助かる、と語っておられた。

 

◆行動日(5月17日)

◇行動地域(仙台市青葉区、若林区、太白区 泉区)

◇訪問者名(村上(愛知)、樋下(京都))

◇訪問結果 訪問数 9件(面談 8件、不在等 1件)

◇被災状況(全半壊・流失 9件 、一部損壊 0件、その他 0件)

◇お見舞金支給(全半壊・流失 8件、一部損壊 0件)

【訪問の概要】

*N先生-医科-(石巻市の診療所が全半壊、自宅(仙台市青葉区)を訪問)

ご自宅で奥様からお話を伺う。「石巻の診療所は津波被害2メートルで全壊。すべてひっくり返って泥をかぶっている。当初診療所まで往復5時間かかった。今はようやく1時間ちょっとで行くことができるようになった。ボランティアの方にもがんばってもらって、ようやく1階が見通せるようになった。地震直後は、自家発電が動いたので、なんとか診療所で出産できた。5分後に津波が来た。スタッフが10数人残ってくれたので手術ができた。患者さんは4人だった。

 ちょっとしたことで生死が分かれてしまった。亡くなられた方は気の毒としか言いようがない。スタッフはすぐに解雇せざるを得なかった。えっ、という感じだったが、被害の大きさから納得してくれているのではないか。車がみんな流された。またスタッフ一人は家が流された。今後の見通しと聞かれても、まだ建てちゃいけないということで再開はペンディング。お国次第である。とりあえずバイトでしのごうかと考えている」と悲痛な思いを語られた。

 

*H先生-歯科-(仙台市泉区の診療所が全半壊、診療所を訪問)

被害状況をご本人と奥様から伺った。「診療所は地震でまるで爆弾を落とされたような被害で全壊。もとが田んぼだったので地盤が弱かったのか。家主から1ヵ月以内に出て行くように言われている。地震発生時は、休憩中で患者はおらず、奥様とスタッフの3人。幸いけがもしなかった。患者は近くの先生に場所を借りて継続して診ることができた。あと二人残っている」と語られた。

 今後の見通しでは、「開業してまだ3年目で借金も2000万円残っている。次を始めないといけない。融資が必要になるが、以前事故をしているので保証協会がダメというかもしれない。そうなると国民金融公庫しかないか。とりあえず運送屋に機材を預けようと思っている。次の場所はまだこれから。市場調査もしないといけない。もう、心機一転やるしかないね」と懸念と意欲の複雑な思いを語られた。


  2011年5月18日

 

■岩手:自ら被災しながら避難所で歯科診療にあたる

5月9日から13日まで、岩手協会被災会員訪問のため、高橋(神奈川)、上南(大阪歯科)、塩毛(島根)、寺尾(保団連)、堀江(保団連)の各事務局5名が岩手協会入りした。

 

 5月9日と10日の両日、派遣された事務局員のうち1チーム2人が、県内陸部の一関市の会員医療機関を訪問した。被害状況報告に基づいて29医療機関を訪問し、医師、歯科医師19人を含む27人と面談、協会や政府への要望などの聞き取りを行った。一部損壊の被害を受けた19医療機関にはお見舞金を渡した。

 

◇行動地域:一関市

◇訪問者名:上南(大阪歯科)、寺尾(保団連)

◇訪問結果:訪問数 29件(面談 27件、不在等 2件)

◇お見舞金支給:一部損壊 19件

 

【訪問の概要】

◆C先生(一関市・内科)

「沿岸部の人は本当に大変だ。でも、TVに映っているところだけが被災地じゃないぞ!と言いたい」。外壁が崩れ修復工事を頼んだが、材料が入ってこないため1カ月半そのままになっている。CTが壊れ、買い替えることになった。診療室内のクロスに亀裂がある。地盤の関係で周辺部では50戸が全壊。被災した患者は7~8人いる。沿岸部から移り住んで来た患者も10人くらいいる。一部損壊の修復費用や医療用機器の一括償却や税額控除の特例措置などを政府に要望して欲しい。

 

◆O先生(一関市・内科循環器科)

友人も沿岸部近くで開業していて、夜も呼び出しが会って眠れないとのこと。融資などのあらゆる優遇措置を講じるなど、沿岸地域の先生方への援助を要望したい。

 

◆O先生(一関市・内科胃腸科)

 保険医協会の情報は役に立っている。医師会でもあれだけの情報は入ってこない。大変参考になりました。情報以外では社保のFAXが早くて簡潔で判りやすい。職員にも見せている。 

 

● 5月11日と12日の両日、派遣された事務局員のうち1チーム2人が、県内陸部の奥州市、平泉町、金ヶ崎町の会員医療機関を訪問した。被害状況報告に基づいて30医療機関を訪問し、医師、歯科医師16人を含む26人と面談、協会や政府への要望などの聞き取りを行った。全半壊、一部損壊の被害を受けた9医療機関にはお見舞金を渡した。

 

◇行動地域:奥州市水沢区、平泉町、金ヶ崎町

◇訪問者名:上南(大阪歯科)、堀江(保団連)

◇訪問結果:訪問数 30件(面談 26件、不在等 4件)

       (奥州市水沢区 24件 平泉町2件 金ヶ崎町4件)

◇お見舞金支給:全半壊 1件 一部損壊 8件

 

【訪問概要】

◇I医師:奥州市・I内科医院

<被害状況等:全半壊>

市の災害対策本部の「危険UNSAFE」との赤い貼紙あり。事業をしてはいけない建物として認定されている。

同区にある元小児科診療所に移転。X線を入れるスペースがなく手ぜまなので、増設を予定、ベッドも入れて有床診療所として再起したいと思っているとのこと。

◎先生から寄せられた感想等

元の施設で入院されていた患者は、自宅、県立病院、私立病院に移ってもらったが、それぞれの先で、間もなく一人ずつ亡くなられた。これも目に見えない災害関連死という。

 

◇K医師:奥州市・K歯科クリニック(5/11休診のため、5/12に面談)

<被害状況等>

建物や内装には目立った被害はなし。モニター用のテレビ落下、パソコンディスプレイの破損、タービンの調子が悪くなった。

 

<被災地支援の体験談>

・ 3週間連続で有志12人が水、木曜とボランティアで歯科治療を行った。場所は高田第一中学校。江刺区保険センターのユニットを譲り受けて運び込んだ。

・ 土日は市歯科医師会が行っている

・ 一日16~18人を診た。私が見た患者は、急化歯髄炎で3週間痛みを我慢していた。左下7番を抜髄した。70~80歳の患者だった。

・ 5月2日からプレハブの仮設歯科診療所ができるので予後を託した。

・ ボランティアのきっかけは、自ら被災しながら避難所で診療をしていた歯科医が土日返上で活動しているのを見かねて有志を募ることになった。

・ 避難所はざわついていて、ブラッシング指導を呼びかける雰囲気ではなかった。かといって、個別指導は一人15分としても2時間で8人しか診れない。ジレンマに陥った。

2011年5月17日

■宮城のM先生「津波に襲われたが、流される入所者を助けた」

5月12日は被害の甚大だった仙台市内、名取市、山元町の合計16人の会員を訪問。14人の会員に直接会い、お見舞金を渡すとともに、政府への要望などの聞き取りを行った。

 

◇行動地域(仙台市、名取市、山元町)

◇訪問者名( 1班:澤田(愛知)、平田(兵庫)→名取市、山元町、仙台市

2班:土井野(富山)、花山(京都)→仙台市)

◇訪問結果 訪問数  16件(面談 14人、不在等 2人)

◇お見舞金支給(全半壊・流失 16件)

 

●5月13日は被害の甚大だった仙台市内の合計5人の会員を訪問。4人の会員に直接会い、お見舞金を渡すとともに、政府への要望などの聞き取りを行った。

◇行動地域(仙台市青葉区)

◇訪問者名(1班:小林登(保団連)、平田(兵庫) 2班:土井野(富山)、花山(京都))

◇訪問結果 訪問数  5件(面談 4件、不在等 0件)

◇被災状況(全半壊 5件 、一部損壊 0件、その他 0件)

◇お見舞金支給(全半壊 4件)

 

【訪問活動のまとめ(訪問活動参加者の感想)】

・会う先生会う先生から歓迎され、喜んでいただいた。「保険医協会にはいつもお世話になっています」という声が多数寄せられた。

・普段の協会活動が会員に支持されていることが実感できる訪問活動であった。・再開に向けて頑張っておられる時期であったので、とても歓迎された。

・ケータイがつながれば救えた命がたくさんあったとの声が印象に残った。ケータイ番号を会員管理のうえからも今後は検討していく必要があると感じた。

・都市計画が決まらないと再開のめどが立たない医療機関もあり、行政への働きかけが非常に大切だと感じた。

・厚生労働省の通知は評判が悪かった。場当たり的対応との批判。                     

*M先生(名取市・内科クリニック)

 名取市でオーナーを務めていた診療所、特養、ケアハウス、グループホーム全てが全壊した。現在は、被害の少なかった若林区の老健施設に診療スペースを開設して、診療を再開している。先生は当日を振り返り「名取市の診療所で診療を行っていたが、地震が発生した。地震で防災無線が破壊され、正確な情報が無かったが、地域で唯一の3階建ての建物であるケアハウスに、特養の入所者などを避難させるように指示をし、自身も特養に向かわれた。特養に入ったところで、津波に襲われながらも、流される入所者を助けた。津波は首までの高さに達し、それぞれの施設が孤立状態に。その後、入所者や他施設の利用者など特養にいた人を大広間に集めて、暖をとるために火をおこした。厨房にあった油を使ってたいまつを作り、明かりをとった。また、津波により自宅の2階などで孤立した人を、いかだを作り助けたりした。2日目には、流れてきた船で、避難者全員を陸まで避難させた」と壮絶な体験を語った。「避難中に特養の中で、朝までに多くの人が亡くなった」とし、「医師は医療機器や薬が無ければただの人だということを実感した」と述べた。最終的には入所者など関連施設の利用者164人のうち25%が亡くなった。また、職員も4人が犠牲になったと悲惨な実態を明らかにした。助かった施設利用者は、現在は同法人の老健施設と特養に入っているが、定員の140%になっているとのこと。行政は、いつまでその状態(定数超過)を続けるのかなどといってくるとのこと。また、「名取市の施設は全壊ではなく、強半壊とされ、今後補助金の交付対象などから外れるのではないのか」と懸念を表明した。

*O先生(山元町・歯科医院)

 人口比で死者・行方不明者の割合が一番高いといわれる山元町で開業しているO先生は、診療所が冠水。診療所の中は泥だらけで、時計は津波が到来した午後4時2分を指したままとまっていた。震災後、栃木県から訪問診療車を借りて、避難所を回って診療にあたっている。ただ、診療所の普及の見込みは立っていない。先生は「この地域は、震災後、最近まで立ち入り禁止区域だった。最近ようやく日中のみ立ち入りが許可されるようになった。多くの患者さんが亡くなったし、助かった患者さんも避難生活を送っている。現在診療所の近くを走っている常磐線も、震災を契機に内陸部を通すという話もある。そうなれば駅も移転してしまうし、地域が元に戻るのは難しいだろう。同じ場所で再開しても、患者さんが戻ってくるのか分からない。地域の患者さんが避難している地域には、すでに多くの歯科医院があり、そこで開業するのは困難」と今後についての不安を語った。また、「この地域では、建物を行政に取り壊してもらうのかを決める期限が迫っている。復興計画などが決まっていない中で、家や診療所をどうするか決めさせるのは酷だ」と述べた。取り壊しを認める場合は、赤紙に名前を記入して貼り付けることになっており、先生の廻りの民家にはかなりの赤紙が貼られていた。先生は同地で開業して15年になるが、「あと5年で借金も完済するのに、また、大きな借金を抱えることになりそうだ」と先行きの厳しさを語った。

 

*N先生(山元町・歯科)

 診療所が冠水したN先生は、5月20日から、診療所の隣の仮設診療所で診療を再開する。仮設診療所の設置に至った経緯について、「浸水した診療所の復旧には、建築用の部材が手に入らず、時間がかかる。それで、仮設診療所を設置した。診療所の復旧後には、仮設診療所に新しく設置するチェアを移設する予定」と述べた。仮設診療所は買取で設置する場合は、最低限の医療機器を含めても1000万円以上かかるそう。先生は、仮設診療所の建物をレンタルすることにし出費を抑え、診療所の復旧に注力する考え。診療所は、復旧作業がある程度進み、内部の泥は取り除かれていたが、泥をかぶったカルテはそのまま。「検死のために歯型がほしいという遺族からの問い合わせがあるが、なかなか見つけることができない」と述べた。

 

  2011年5月16日

 

*5月9日から13日まで、5人の事務局員が宮城協会に支援に入った。そのうち、10日と11日の行動の概要を報告する。

 

■宮城県S会員「協会はいつも早く対応してくれる」と述べる

5月9日から13日まで、宮城協会被災会員訪問のため、澤田(愛知)、土井野(富山)、花山(京都)、平田(兵庫)、小林登(保団連)の各事務局5名が宮城協会入りした。

 

5月10日、派遣された事務局員は、被害の甚大だった石巻市と東松島市の会員医療機関や自宅を訪問した。被害状況報告に基づいて医療機関もしくは自宅が全半壊した会員にお見舞金を渡すため。

この日は、4人が2チームに分かれて、合計22人(石巻19人、東松島3人)の会員を訪問。20人の会員に直接会い、お見舞金を渡し、政府への要望などの聞き取りを行った。

以下に概要を報告する。

 

◇行動地域(石巻市、東松島市)

◇訪問者名(1班:澤田(愛知)、平田(兵庫)  2班:土井野(富山)、花山(京都))

◇訪問結果 訪問数  22件(面談 20件、不在等 2件)

◇お見舞金支給(全半壊・流失 20件)

 

【訪問の概要】

*S先生(東松島市・現在診療している小野市民センターを訪問)

東松島市で開業していたS先生は、地震で診療所が全壊した。その後、4月18日から、近くの市と交渉し、小野市民センターの応接室で診療を再開している。同センターは地域の避難所になっており、この日も多くの患者さんの治療を行っていた。S先生は国への要望として、「阪神淡路大震災のときは民間医療機関の再建にも補助が出たと聞いた」とし、「今回も同様の措置が必要だ」と述べた。なお、全壊した診療所は、現在再建中で、早ければ5月末にも診療再開の予定だという。

 

*S先生(石巻市・内科クリニック〔分院の内科医院を訪問〕)

S先生は、石巻市中心部で開業していたが、診療所が津波により流失。弟が院長を務める比較的被害の軽微な分院で診療を再開している。「本院で診ていた患者さんの十数パーセントの患者さんが今回の震災でなくなった」と述べた。本院は、現在政府による建築制限がかかっている地域で、再建のメドも立っていない。さらに、「多くの患者さんが現在も避難所生活を送っており、本院を再建したとしても今後、地域に戻って来ないのではないか」と懸念を語った。

 

*M先生(東松島市・歯科医院)

東松島市の診療所と隣接する自宅が床上浸水したM先生は、「家族を連れて逃げようと思った時には、すでに周囲の道路が冠水しており、自宅の2階へ非難した」「浸水せずに助かったが、その後3日間、水が引かず、家族とともに自宅の2階に閉じ込められた」と当時の様子を語った。診療所は医療機器が全て使えなくなり、大変な損失だ。先生は、「自宅の再建だけでなく、診療所などの再建にも政府の補償が受けられるようにしてほしい」と訴え、7月中には診療を再開させたいと述べた。

11日は、気仙沼市、塩釜市、七ヶ浜町、多賀城市、大和町、大衡村の合計20人の会員を訪問。17人に会ってお見舞金を渡すとともに要望などの聞き取りを行った。

 

◇行動地域(気仙沼市、塩釜市、七ヶ浜町、多賀城市、大和町、大衡村)

◇訪問者名( 1班:澤田(愛知)、平田(兵庫)→塩釜、多賀城、七ヶ浜、大和、大衡

2班:土井野(富山)、花山(京都)→気仙沼)

◇訪問結果 訪問数  20件(面談 17人、不在等 3人)

◇お見舞金支給(全半壊・流失 17件)

 

*K先生(気仙沼・クリニック)

 医療機関は全壊で火災が発生した地域。5月22日より移転、再開。

 

*M先生(気仙沼・医院)

 震災2~3週間後から、軽傷者を対象に診療再開。完全復旧ではない。

 

*M先生(気仙沼・外科クリニック)

 再開の意志はある。場所は決定したが、再開時期は未定。

 

*S先生(気仙沼・小児科)

 4月20日より移転、再開。 こどもに勇気づけられながら“楽しく”やっている。協会はいつも早く対応してくれる、と非常に頼りに思っておられた。

 

*M先生(気仙沼・整形外科)

 4月26日より週4日で再開。津波で医療機器関係がすべて水に浸かりだめになり、現在借り物を使っている。



2011年5月11日

*福島協会の事務局が、福島県田村市の会員の先生方を訪問し、声を聞いた。地元では原発損害の賠償問題が急がれている。

■福島県:「積算の放射線量は、まだまだこれからが問題だ」

安否・被災状況は、会員の96%くらい把握してきました。見舞金や皆さまからいただいた義援金の送金はこれを元にこれから早急に進める予定です。

  当初は、原発事故で入れない地域を除き、津波の被害が伝えられる沿岸部(北と南)から会員訪問を進め、今は、原発事故で立ち入れない範囲(警戒区域)の周辺部(緊急時避難準備区域)からその外側へと、範囲を少しずつ広げながら行っています。それはつまり緊急に避難を強いられた人々の避難経路とも重なります。

 

 昨10日、事務局・井桁が田村郡小野町、田村市滝根町・大越町・常葉町の先生方15件を訪問しました。いずれも福島第一原発から30Km~40Kmに位置し、あぶくま鍾乳洞などがあります。

「3月だけで300万円近い赤字。」

「自宅は全壊し、更地となったよ。」

「もともと“過疎地”なので、毎年数%程度の人口減少はあると覚悟しているが、高齢単身者など一度子どもの所に避難された方たちが戻ってきてはいるが、震災前の8割程度。医院経営も見直しをしていかなくてはいけない。」

「積算の放射線量に関しては、まだまだ、これからが問題。」

「連休明けからぼちぼちと患者さんが戻ってきてはいるが、農村地帯であり、原発事故の影響により患者減が心配される。」

「町の中核病院の入院機能が回復せず、重症の患者は隣町に送るようになっている。」

「幸いにも電気・水道・ガスが無事であり、3/15休診したのみ。当初は双葉郡内からの避難者への投薬や避難所での診察等。様々な情報による混乱や物資不足で震災後2週目が一番辛く、避難所へ食料を貰いに行きながら診察していた。私(御子息)は、他県に席があり、そこの皆が、食料・水・燃料等の物資を運んできてくれたので助かった。原発事故の影響か、自殺者が増えている。今後も増えそうである。」

等の声が寄せられています。

 

また、「避難当初は消防団員(あるいは家族?)が、高血圧の薬などのメモを持参し、薬が欲しいと来院した。緊急時ということで持たせた。」等の話をされていたとのことでした。

 今は避難者はより遠方の避難所に、また旅館等の二次避難所に移られています。先生方の中にも避難された方もおられましたが、今はほとんどの先生が通常診療に戻っています。どの先生も患者数は、2・3割減と応えていたそうです。もちろんこれらの地域は農村部ですが、放射線の影響で作付は行っていますが売れるのかどうかもわからず、地域経済へのダメージは大きく、現在のそして将来の補償の問題も含めどうなるかの展望が見えません。

 ある先生が、「自殺が増えている」と語ったそうです。 将来を展望できる全面的補償がすぐに行われること・約束されることが本当に急がれています。 地域がこういう状況ですので、先生方も医業経営としてもこれからを心配しながら診療を続けています。

 

 また原子力損害賠償紛争審査会が第3回まで開催され、「・・・原子力損害の範囲の判定等に関する第一次指針」が出されていますが、対象区域は、警戒・緊急時避難対象・計画的避難がメインで、それ以外の地域の損害については「政府等による出荷制限指示等に係る損害について」のみが対象とされ、それ以外は今後の課題とされてしまっています。

 医業自体も、それ以外の業種と同様に「営業損害」での請求となると考えられますが、前述のように周辺地域・福島県内では少なからず経営的影響を受けることとなっており、この損害も補償させることが必要です。

 さらには、第3回審査会に出された厚生労働省提出資料では、医療機関の項目には、病院の標記しかない上、患者目線の損害項目のみです。厚労省に、医科・歯科診療所の項目を明記させ、病院も含め、医療崩壊の中、地域医療を担ってきた医療機関の損害について記述させる必要があります。もちろんこうした指摘を考慮してか欄外に「※経済的被害を受けた患者数、医療機関数、医療従事者などについては、今後精査が必要」と逃げを打っているのも悔しい限りです。

 

2011年5月9日

福島県郡山市で診療を続けられている会員を、福島協会事務局が訪れた。

 

■「原発事故のため、将来への補償が必要になっている」

4月25日、警戒区域となった富岡町、緊急時避難準備区域となった川内村が避難先としている郡山市のビッグパレット(県の商業展示施設)で、協会会員で双葉郡医師会長をされている井坂晶先生(大熊町)が、住民への診療を続けているとのことから、福島協会事務局が訪問しました。

 

 午後4時ころの訪問に、あいにく井坂先生は不在でしたが、ご一緒に診療されている佐藤正憲先生、堀川章仁先生にお会いすることが出来ました。お見舞を述べ、協会からの支援の話をさせていただきましたが、既に医薬品等物資は十分にあること、今は広島県の医療チームが支援に来ていること等を紹介いただきました。両先生とも自宅のある福島市や、親戚の二本松市に避難しながら、井坂先生と3人で避難所の救護スペースで診療を続けているとのこと。お話の最中にも、お年寄りの方が血圧の薬を求めて、あるいはひざの具合が悪いと受診していました。

 

 そうこうするうち、5時からの医療スタッフのミーティングに合わせ井坂先生も戻ってこられました。挨拶もそこそこに井坂先生はミーティングで、患者さんの受診状況や、郡山の総合病院への患者紹介の状況の確認、明日への引き継ぎ、診療ローテーションの確認などの陣頭指揮をとられておられました。

 

 ミーティング後のお話では、突然の原発事故で、避難を余儀なくされた無念さを、「思い出すと涙が出てくるので、ここでの診療と対応に力を注いでいる」と語られました。また原発事故については、東電の補償が全ての損害にきちんと対応されなければならないと声を強められました。特に補償対象は様々な業界・分野に及んでおり、声の大きいところに傾斜されることの無いよう、実績に応じた補償をしてほしい。医療機関は患者・住民がそこに戻らないと成り立たないことから、地域への将来的補償が必要になっていること。さらには二重となるローン、リースへの支払い猶予や補償、税金支払いの免除や猶予、放射能に汚染された診療所、設備、医薬品や医療資材の補償等々を語られ、これらの件は数日前に双葉郡医師会として県医師会にも要請協力を行ったが、様々な医療団体、協会からも声を挙げてほしいとのことでした。事務局は、保団連の「被災者への医療提供を確保するための医療機関の復旧・復興に向けた緊急要請」も紹介し、地元協会としても4月23日の理事会で要請を行っていくことを確認したことを伝えました。

 

 辞去しようとしたところ、井坂先生は歯科コーナーがあることを紹介。そこには協会会員の新妻章先生がおられ、ここでは器材も無く、入れ歯の調整程度しかできない。簡単な歯式などは記録し残しているが、保険請求ができるといいのだがと話されておられました。最後に協会でまだ避難先を把握していない医科・歯科会員の先生への連絡をお願いしビッグパレットを後にしました。

 

 福島協会では、会員の安否・被災状況確認を進めていますが、確認済みは5月2日現在1332名(91.2%)で、引き続き100%をめざし奮闘しています。

 寄せられた要望・意見の内、避難地域の先生からのものを以下に紹介します。

 

・原発による避難で閉院を余儀なくされている。その間の年間の診療報酬の補償を東電、国でしっかりやってほしい。強く要望します。―南相馬市小高区・医師

 

・原発により20㎞以内は警戒区域となり、放射能汚染で診療所建物、設備の補償を、医療法人の今後、双葉町での存続の可能性が無いため、医療設備に投資した分のローンの残金の保障、自宅土地、財産、自宅のローン残金保障を被災者に早くして欲しい。―双葉町・歯科医師

 

・この年での新規開業は、財力も気力も無いのです。(原発事故が無ければ)75歳くらいまでやりたかったが、それが不可となった今、従業員の分も含めて補償をしてもらいたいという思いが東電と国に対してあります。―双葉町・医師

 

・新潟県三条市の避難所4か所の巡回診療をしている。保障をしっかりして欲しい。―南相馬市・医師

 

 

2011年5月6日

*大分協会役員で保団連の賀来進理事らは4月30日と5月1日、宮城県南三陸町に歯科医療支援に入った。また4月最終週には保団連はじめ9人の事務局が宮城の会員の先生方を訪問した。

 

■歯科治療機器をレンタカーに搭載してフェリーで宮城県に入る

大分県保険医協会は賀来進副会長、馬場秀樹歯科理事、竹内小代美理事(心療内科医師)、歯科技工士1名、歯科衛生士1名、野崎事務局員計6名を東日本大震災で最も津波被害の大きかった宮城県南三陸町の歌津中学校避難所に派遣し、4月30日と5月1日の2日間歯科医療支援を行った。この支援は志津川病院の歯科口腔外科斎藤先生のとり計らいで、実現できた。

 

斉藤先生からの事前情報で現在  避難所(160名)にいる被災者の多くの方がご家族や親類・友人を亡くしているということ、口腔ケア、歯髄処置、レジン充填、義歯の修理等の要望があることを知った。この情報を元に治療機器・機材、薬剤、支援物質等準備してレンタカーに積載し、4月28日大分港をフェリーにて出発、翌29日神戸から14時間かけて夜8時に仙台市内のホテルに到着した。

 次の日2時間かけて、南三陸町の鉄骨のみとなった総合防災庁舎や4階まで津波に襲われた公立志津川病院の横を通り、歌津中学避難所に到着した。

 

30日、1日と校舎2階の教室1室の仮歯科治療室に大分から持ち込んだ歯科用に改良した移動用の理髪用いす2台、ポータブルレントゲン、訪問診療機器、技工用エンジン、消毒器等重装備を設置し、16名の患者の治療(歯髄処置、レジン充填、義歯修理(床裏装含む)、義歯調整、除石、抜歯、口腔ケア等できる限り要望に対する歯科治療)を行った。設備の整った仮歯科治療室での診療が患者から大変喜ばれた。

また、避難所の被災者の方には口腔ケアの方法や大事さを指導し、必要な方に歯ブラシ等を配るなどした。心療内科医の竹内先生は、多くの被災者の方や近くの住人(家は流されていないが、生活物資がない環境にある)と話をされ、心のケアを行い、かなりの被災者が癒された。

 

歌津中学校避難所の帰りに、南三陸町災害対策本部のあるベイサイドアリーナの医療ボランティア本部に、歯科用薬剤(抗生剤、うがい薬等)、ペーパータオル、トイレットペーパー等々(台車2台分)の医療・生活支援物資を提供した。

5月2日、10時間かけて神戸港に到着し、フェリーにて5月3日朝6時に無事大分に帰着した。充実した6日間であった。もう一度何らかの形で訪れ、医療支援を行いたい。

 

■「医療機関少なく、融資制度拡充で早急に立て替えをしたい」

4月25日より28日まで9名の支援隊(東京・盛、愛知・日下、静岡・村松、岐阜・福島、大阪・谷、兵庫・楠、鹿児島・生川、保団連・岩下・山田)は、26日に仙台市内の青葉区、泉区、太白区の3区を、27日は仙台以北の大崎市、栗原市、登米市を、3班体制で分担し、被害報告のある会員計75件を訪問、被災状況の把握とお見舞金を手渡した。

 

 このうち、26日の仙台市内について「都市部の診療所は、見た目の被害は軽微だが、精密機械の破損で診療ができない、あるいは機械破損がなく通常診療ができても、市民のほうに外出・受診手控えの意識が働き、患者数が震災前の半分になったとの声もある。一方で、沿岸部の被災地域はもっと甚大な被害であり、都市部という点ではそういった悩みは言いにくく、先生方の行き場のない声も聞かれた。仙台市内は問題なく動いているように見えるが、完全な復旧・復興にはまだまだ時間がかかるし、対策も遅れているように感じられる」との報告が寄せられた。

 

 27日の大崎、栗原、登米の三市は仙台から高速バスで1時間、更にタクシーで1時間が必要な遠方で医療機関数も仙台市内と比べて少ないことからこれまで訪問ができなかった地域で、今回初めて被害会員への訪問が行われた。訪問報告では「電気・ガス・水道などの復旧を待たずに診療を再開させて患者さんへの対応を行った先生がたくさんいたことに、地域医療を担う先生方の意気込みを感じた。」「『自分よりもっとひどい被害のところの支援を手厚くしてあげてほしい』とのメッセージを口々にしていたのも印象的」「4月7日の余震の被害も大きく、精神的なダメージも受けているようすが感じられた。」。「登米市は4月7日の余震の震源地にも程近く、2回の地震による被害は甚大かつ拡大している。建物はいずれも大小の亀裂が入り、簡単な修復では今後の大規模地震に耐え切れない。もともと医療機関が少ない地域で、建て替えを考えている医療機関も多く、地元の患者さんが行き場をなくすことにもなりかねない。医療機関再建のための融資制度拡充が急務と思われる。」との状況が寄せられた。

 

 なお、宮城協会では、被害状況が把握できていない会員が残り約500件余り、また、被害報告はあるが未訪問の地区が仙台以南にまだあることから、これらの状況把握と会員訪問が今後の課題になっている。                                    

 

 

2011年4月27日

*協会・保団連は今週も岩手、宮城協会に事務局を派遣、会員医療機関を回る支援活動を継続している。25、26日の両県への支援活動を報告する。

 

■(4/25、26)岩手・箱石会長「会員支援に全力を尽くす」

4月25日、26日、佐藤島根協会事務局長と工藤保団連事務局の岩手支援隊は、被災状況をお聞きし、お見舞金をお渡しするために、大船渡市(25日)と宮古市(26日)に被災会員訪問を行いました。また、26日には箱石岩手協会会長の診療所を訪れ、お話をうかがい、「全国からの支援で『気合い』を入れてもらった。心から感謝したい」と話されました。

 

 全半壊といった大きな被害を受けた会員にはすでに訪問しており、今回は一部損壊やこれまで連絡のとれなかった会員を中心に訪問しました。

大船渡市4件、宮古市7件の会員訪問を行い、お見舞金と被災会員に向けた岩手協会でまとめた医療支援、会員支援情報をお届けしました。

 

 大船渡市では、気仙医師会を訪れ、連絡先のわからなかった会員が盛岡市内に避難していることが判明、連絡先を把握することができました。

津波の被害を受けなかった地域では、停電、断水などで休診を余儀なくされた院所が多いようでしたが、現在では通常診療をしています。

 ある歯科の会員によれば、「市内6件の歯科医院が流された。1人の先生には自分の医院で診療してもらっている」と話されました。

 それでも津波が川の堤防を乗り越えたところもあり、「もうだめかと思った」と語られた会員もいました。

 

 宮古市では、院所は無事で、現在は通常診療を行っているところでも、自宅が津波で流されてしまい、寝泊りは院所でという会員が二人おられました。

 津波で床が浸水してしまい、被災直後は院所の前に机を出し投薬のみ行っていたところでも、現在では通常診療に戻っているようでした。

 

 大船渡、宮古では、津波の被害が甚大なところと、被害は受けなかったところがはっきりわかれていました。

 被害の受けなかった会員からは、「自分はよかったが、被害にあった医療機関はたくさんあって『よかった』と素直に思えない」と話されていました。

 

 箱石会長は、「被災直後から私も被災地に入り、会員の安否確認を最優先に全力で当たった。全国からの物資支援、応援の医師・歯科医師の派遣などで、協会も『気合い』を入れてもらった。全国のご支援に心から感謝したい。震災被害の犠牲になった人もおり、協会でどう対応したらいいか議論をしているところだ。自分の院所を失った会員もおり、そうした会員が再起できるよう協会として全力を尽くしたい」と話されました。

 

■(4/25、26)宮城、「行政動かすために声を上げたい」

4月25日より28日まで、9名の宮城支援隊は仙台市を中心に会員訪問を行っています。

今回は主に仙台市内と、その上部の3市の会員訪問を行っています。初日となる25日には、前回より恒例となっている被災地の見学から入り、仙台駅から車で10分ほどの若林区および宮城野区の被災地を見ました。

 

 翌日は青葉区、太白区、泉区の3区内で未訪問のところを回りました。対象医療機関は、すでに被災状況報告書を送ってこられたところで、実際に訪問すると、報告書では分からない先生方の切実な思いを聞くことが出来ました。

 市内のある歯科の先生は口腔ケアに非常に熱心だったが、珍しいという口腔内撮影テレビはすでに部品生産が終了しており、修理が出来ず諦められていた。ただ、近いうちに近所のホテルに県内の避難者が滞在することから、「県歯に入っていないので、避難者の口腔ケアを見られるような体制に協会から頼めないだろうか」との要望をいただいたため、ぜひ検討したいと伝えました。また先生は、「ガソリンや交通手段が復旧しても、住民は外に出るのを控えているため患者数は少ないまま」と述べ、街全体を明るくして欲しいと求めました。

 また整形外科の先生は、医師会で災害担当理事として奮闘しており、地震後はしばらく診療できませんでした。「ただ黙って踏ん張っているだけでは状況はよくならない。はっきり声に出して、具体的に要望を上げて頑張っていかないと行政も動いてくれない。これからも一緒にがんばりましょう」と強いメッセージをいただきました。

 

 ただ元気な先生ばかりではなく、中には不安が尽きないという先生もいらっしゃった。それでも事務局からは「とにかく色々と協力していきますので頑張りましょう」と励ましました。都市部の診療所は、見た目の被害は軽微だが、精密機械の破損で診療ができない、あるいは機械破損もなく通常診療が再開できても、市民のほうに外出・受診控えの意識がはたらき、患者数が震災前の半分になったとの声もありました。

4月18日から岩手協会への支援するため、静岡協会の村山氏と保団連の鈴木氏が現地に入っています。19日より被災された会員の先生方に、直接見舞金をお届けするために、会員訪問をしています。



4月21日は、大船渡市を訪問した内容が、本日(22日)報告されましたので、お知らせいたします。

 

■(4/21) 保団連支援隊 岩手県大船渡市を会員訪問

[保団連支援隊・保団連鈴木氏からの概要報告]

4月21日、岩手支援隊(静岡・村山、保団連・鈴木)は、大船渡市で被災を受けた会員へ見舞金を届けるために訪問しました。

訪問結果は、訪問会員数、10人。見舞金を届けることが出来た会員8人。2人は、不在でした(1人は休診)。

 直接お話しを伺うことのできた先生からは、次のようなお話しをいただきました。

Y医師からは、診療所が泥だらけになり、空調や床暖房を取り替えなければならなかった。パソコンが故障し、処方箋が作成できないため、緊急災害時処方箋を作成し、対応した。3月14日から診療を再開したが、雪が降る中での診療だった。診療所そばの薬局も被災し、薬の半分は使えない状態となり、患者さんが5時間かけて診療所にきても薬不足で、3日分しか出せなかったことが大変心苦しかった。それでも患者さんからは、感謝された。患者数は多い時は一日に250人前後。今は落ち着いている。薬不足が大変困った。との話しを伺いました。

H歯科歯科からは、医院が全壊したため、再開のための用地を建設中である。患者さんに会うたびに「大船渡ならどこでも良いからはやく診療して」と言われる。資金は工面できるので、用地が見つかり次第、診療所を建てる予定である。しかし、行政が迅速に対応できていない状況にある。要望は、用地確保後も、診療所開設までに二週間程度待つ必要があるなど、時間がかかりすぎるので、早く対応できるよう要請してほしい。との話しを伺いました。

T医師からは、院内の内装にひび割れができるなど一部損傷した。診療開始後は、午前中は新患が多いが、午後は逆に少なくなっている。その理由は、リハビリで通っている患者の交通手段がなくなったこと、水産加工業の会社等に勤務していた患者が失職したため、来院しなくなったことが考えられる。また、学校が現在避難所になっているため、部活をしていないようで、そのため来院することがない状況だ。津波は、怖い。家も車も人も飲み込む。何よりも早く逃げることが大切であることを患者さんから学んだ。との話しを伺いました。

■(4/20) 保団連支援隊 岩手県大槌町・山田町を会員訪問

4月20日、岩手支援隊(静岡・村山、保団連・鈴木)は予定していた大槌町、山田町の診療所を訪問しました。

訪問結果は、大槌町は3件を訪問し、お見舞い金を手渡せた医療機関は全壊の2人です。1件は、勤務医の会員を訪問しました。

 

[大槌町]

M医師は、診療所が全壊し、大槌町で最後まで残る予定の城山にある中央公民館の避難所で診療されていました。M医師からは、今後は、5月6日にアパートの一室を借りて、診療所を再開する予定。避難所での診療については楽しんでやっている。患者は、今はうつ症状など心のケアを必要とする人が増加している。今は、避難所支援に来ている沖縄県医師会の医師等と共同生活で、学生時代に戻った気分でやっている。今後の要望は、私が診療所を再開した後は、避難所で診療できるドクターが1人減るため、それを補う対応が必要だ。との話しを伺いました。

 

[山田町]

U医師は、診療所が全壊。U医師からは、仮診療所で4月11日から診療所中だが、本診療所についてはまだ未定。見舞金は本当にありがたい。今後の要望については、急には考えられないが、何かできることがあれば可能な限り対応したい、との申し出だけで嬉しい。がんばります。との話しを伺いました。

 

 

 

■(4/20) 保団連支援隊 宮城県仙台市を会員訪問

本日は仙台市青葉区、泉区、太白区を3つのグループに分かれて訪問を行った。医療機関数は49件、うち全半壊は6件。概要は以下の通りです。

 

[青葉区]

本日は、被害状況報告書を提出いただいていない会員医療機関(19件)について訪問活動を行いました。青葉区を担当したのは福元(鹿児島)、上田(宮城)、小林(保団連)の3名。仙台市中心部では医療機関の被害は少ないのですが、地盤の弱い一部の地域やビル最上階(12階)の診療所では全半壊しているケースがありました。お見舞金をお渡しできた先生からは、「高層階のため揺れが大きく、レントゲンが天井にぶつかって壊れる等の被害が出た。また水道やガスが1ヵ月以上ストップしたため、漸く今週月曜日(4/18)から診療を再開することができた。わざわざ遠くから訪問してくれて大変嬉しい」と感謝の言葉をいただきました。また、被害の軽微な医療機関の先生に要望を伺った際にも「特にはないよ。というのも、日頃から保険医協会は頑張ってくれているから」との大変有り難い言葉を頂戴し、宮城県保険医協会の日々の取組みが確実に会員に伝わっていることを実感する場面もありました。

 

【出された要望】

・           被害状況に関する報告がまとまり次第、ぜひ県歯科医師会に知らせてほしい。現在、県歯で集約している情報と併せて確認作業を行い、情報交換ができればよいと思う。

・           マンションの1室で開業しているが、今回の震災で上の階からの水漏れ被害にあった。しかし、民間保険に加入していなかったため困っている。様々な器具が錆びたり、現像機が壊れたりする等の被害があり困っている。

・           マンションの1室で開業。診療所(部屋の内部)では特段の被害は無かったが、建物の共有部分(部屋を出てすぐの廊下に亀裂あり)には被害が出ており困っている。

 

[泉区]

全壊は2件。1件は、壊れた窓からカーテンがむき出しになっていました。もう1件は、本震で弱った建物に余震が来て損害がひどくなったそうで。業者に再建できるか調べてもらっているが、この場所で続けることには不安もあるとの話しを伺いました。

その他は一部損壊などで、建物にひびが入ったり、地盤が沈下したりしていましたが、診療は再開されていました。わざわざ訪問してくれてありがたいと、お茶を出してくださる先生もおられました。

 

医療機関訪問が終わった後、甚大な被害を受けた沿岸部・荒浜をタクシーで訪問しました。まるで爆心地のようで、がれき以外は見渡す限り何も残っていませんでした。津波の恐ろしさをひしひしと感じさせられました。

 

[太白区]

診療所が全壊された先生は、「移転を考えている。患者さんのことがあるので近場で捜したい。収入が減るので、大きな不安がある」とのことでした。

また、地震直後に患者さんのことを考えて診療所に寝泊まりした先生もいらっしゃいました。その間、老人ホームを回ったりされていたそうです。

そのほかの先生がたの感想としては、「頼んでもいないのに震災後にチェアを持ってきてくれたメーカーさんがあった。早速購入した」「患者さんが少なくなった。受診をがまんされているのでは。重傷化が心配だ」「地震から1カ月たって、そろそろ疲れが出てきた。しかし患者さんのことを思うと疲れたとは言っていられない。わざわざ協会から来ていただき、それも大きな支えになった」「もう、薬もガソリンもある。うちは診療できているので全壊した医療機関を回ってほしい」などの言葉をいただきました。

また、政府が進める電子化についての批判もありました。「電子カルテは停電になると使えない。紙カルテのほうが、非常時にはずっと優れている」「電子カルテが故障し、メーカーを変えたが、データに互換性がなかった。今までのデータがパアになった。厚労省はデータの互換性を確保してほしい」「医療機器は安くない。その修理代を国が補助してほしい」などの意見・要望をいただきました。

 

 

■(4/19) 保団連支援隊 岩手県釜石市を会員訪問

4月19日、岩手協会支援隊(静岡協会・村山俊一、保団連・鈴木沙波)は岩手県釜石市の会員で、診療所が全半壊となった会員を中心に一部損壊となった会員を含め、お見舞い金を持参して、被災状況や復興状況を聞きました。

訪問結果は、全訪問会員数は13人。実際にお見舞い金を手渡せた会員は11人。不在会員は、1人。携帯電話で繋がった会員は1人。釜石は全対象機関を訪問できました。

お見舞い金を受け取った会員の先生からは箱石会長によろしくお伝えくださいと、とても感謝されました。一部損壊の先生は、壁にひび割れがあるなどしても私の診療所の所は問題ない。流されている診療所がある。と口を揃えて言われていたのが印象的でした。

 

以下、三人の会員から伺った話を紹介します。

 

神経内科クリニックのH医師は、壊滅地域の鵜住居町(うのすまいちょう)の診療所が完全に流出。3月22日から仮診療所で診療を開始して、一日に50~60人前後を診療(以前から通院されていた患者中心)している。診療所再開に向けて資金面は工面できる見込みがあるが、問題は診療所の用地。跡地には建てられないのでどうするか困っているが、同様の状況にある医院は多いのではないか。

 

歯科医院のF歯科医師は、待合室の大きなガラスが割れ、壁にひび割れ、キャビネット脱落破損。診療状況は、震災後の一週目は、死体安置所の検体、二週目は、避難所診療所、三週目からは、通常診療をしている。

協会、保団連への要望は、全壊の診療所へのサポート、ケアを行ってほしいこと。

 

小児科医院のI医師は、児童の心のケアはされているが、学童以下の子どものケアがないので、絵本を集めて保育園などに行っている。津波がトラウマになり、お風呂に入れない子どももいる。釜石では、44人が孤児となった。物資支援も人的支援も5、6月で引き上げるのではないかと心配。以前から医師不足に加えて、津波による影響を危惧している。長期的支援をお願いしたい。

 

以上です。

 

 

■(4/19) 保団連支援隊 宮城県仙台市を会員訪問(1)

4月19日は仙台市の太白区、青葉区、泉区を3つのチームで回った。訪問医療機関数は計51件、うち全半壊は8件、一部損壊が43件だった。各区の概要は以下の通り。

 

○太白区

全壊は1件だけ、あとは外見はきれいでも壁にヒビがあったり、医療機器の修理が必要だったりした。医薬品は十分足りているとのこと。要望としては「一部負担金の猶予か免除かの通知がわかりにくい。患者さん向けの窓口に貼る簡単な説明書きがほしい」「国は税金を免除してくれたり、機器の修理代を援助してほしい」などがあった。

見舞金を手渡すと「私は診療できているので結構だ。ほかの人に回してほしい」など遠慮される先生もいらっしゃった。震災の感想としては「診療を再開するまでの1週間がつらかった。患者さんと接してやっと落ち着いた」「患者さんが待っている。早く再開したい」「今回、命にかかわる仕事をしていることが本当にわかった」「他県からの医療支援に任せるわけにはいかない。聴診器一つで避難所を回っている」「地区医師会や大学病院と連携して在宅診療を始めたい」などの話をいただいた。

 

○泉区

全半壊が2件、1件は復旧の見込なしとのこと。もう1件は透析をやっているので午前中だけ患者さんに薬を出している。震災時の話としては「本震より余震のダメージが大きかった。余震でひび割れが拡大した。家屋を修理してもまた余震が来たらどうにもならない」「地震保険の対応がひどい。見舞金ほどしか出なかった」などがあった。

行政への要望としては「避難所の皆さんの健康状態が悪化している。エコノミークラス症候群の症状も出始めているという。是非、避難所の皆さんの健康診断をやってほしい」などがあった。

 

○青葉区

①K整形外科  休診

②Mクリニック

[被害状況]

機材が動いた程度。診療はすぐに再開できた。震災以降、スタッフが1日も休まず協力してくれている。

③O内科医院

[被害状況]

古い給湯器は壊れたが、医療機器は大丈夫。翌12日から診療を再開できた。停電中(2~3日)は手書きレセプトで対応した。

④S整形外科麻酔科

[被害状況]

レントゲンの一部や建物のボイラーが壊れたが、休診は土曜日(地震後翌日)のみで、日曜夜から診療再開できた。有床診のため、スタッフが泊まり込みで対応した。

[要望]

電気やガソリンの復旧が診療再開には必須だと感じた。

⑤K循環器科クリニック

[被害状況]

若干の停電や断水程度。

⑥I矯正歯科クリニック

[被害状況]

自宅は酷い状況。家の事は考えずに、ひたすら診療するしかない。

[要望]

被災地における歯科患者の支援システムの構築を求めて、矯正歯科関係の学会に要望書を出したが、日歯の対応が鈍いこともあり検討が進んでいない。協会として、可能であれば日歯の後押しをしてほしい。例えば、主治医を失った被災者(矯正歯科の患者)を自分の診療所まで移送する体制さえ確保してくれれば、無償で診療する準備はある。

⑦S歯科

[被害状況]

建物の被害が大きく、無数のクラックが生じた。薬瓶も全て落下し、あたり一面に薬品と割れた瓶の破片が散らばる状況。また、4月7日の余震でもさらに被害が拡大した。

⑧A歯科医院  建物全半壊、体調不良で休診

⑨A歯科クリニック

[被害状況]

自宅はガタガタになってしまったが診療所は何とか無事。

[要望]

訪問してくれたので、一人じゃないと実感できた。本当に嬉しい。これからも宜しくお願いしたい。

⑩Aクリニック

[被害状況]

レントゲンが壊れた。また、プリンタ等の機器も吹き飛んで壊れたので、買い替えの必要が生じた。マンションの1室のため、建物自体もジョイントが壊れる等の被害が出ており不安だ。

[要望]

普段から必要な資料等があれば協会に連絡をしてもらっている。現時点では足りているので大丈夫。

⑪I歯科医院

[被害状況]

スタッフが通勤できなかったこともあり、震災から10日間は休診した。

[要望]

被災地で診療所やすべてを失い、借金のみ抱えて呆然としている先生方が心配だ。現在、当院では歯科医師、歯科衛生士を募集しているので、是非そういった先生を紹介してほしい。そういった意味では、求人のマッチング体制が確保できればとても良いと思う。

⑫G整形外科クリニック

[被害状況]

若干カルテ等が落ちた程度。むしろ4月7日の余震で当ビルに亀裂が入ったのが心配。診療所は今のところ問題なくやれている。

[要望]

お見舞金は、もっと困っている先生方に是非回してください。(お気持ちのみ、ということで見舞金の受け取りは辞退された。)

⑬I内科クリニック

[被害状況]

物が若干落ちた程度で問題ない。

[要望]

お気持ちだけ十分いただきました。お見舞金は、もっと困っている先生方に是非回してください。(見舞金の受け取りは辞退された。)

⑭Oクリニック

[被害状況]

診療所が入っている建物がかなりの被害を受け、1ヵ月以上診療ができなかった。本日(4月19日)から漸く再開ができた。そういった意味では被害が結構大きかった。

⑮O脳神経外科

[被害状況]

地震翌日の3月12日(土)のみ休診。日曜日からは再開できた。

[要望]

沿岸部の先生方が心配。よろしくお願いしたい。

 

 

■(4/19) 保団連支援隊 宮城県仙台市を会員訪問(2)

[A班(檜山・杉山・川辺)]

19日は朝から雨も降ってきており、肌寒い気温。街を歩いている人たちも春物というよりは、冬物を着込んでの出勤姿の人が目立っている。

今週の訪問対象地域が内陸部ということで、津波の被害が無い地域とのこと。比較的被害の小さな地区との認識でいたが、面談等の出来た医療機関のほとんどで、壁にヒビが入っていたり、医療機器が破損したりと、地震による被害は小さくない。そのような中でも、訪問したほとんどの先生が既に診療を開始しており、口にした言葉が「お見舞金については、自分より被害の大きい先生に廻してください」と辞退されていた(その後、何とか説明をして受け取っていただいたが…)。

自宅も含め全半壊の所もあるなか、患者さんから急かされて早く診療を再開することが、復興に向けたモチベーションになっていたり、診察が出来ないことで憂鬱な気持ちになってしまっていたと言う先生もいて、地域医療を担っている先生方の姿を垣間見ることが出来た。

また、ある内科の先生は「不謹慎だと思うが…」と前置きしたうえで、「開業して、今までの診療のなで直接命に関わる診療をしている認識が薄れていた。今回の震災で、薬ひとつが手に入らないことで、命に関わる患者が、こんなにいる事に驚いた。自分の診察がいかに大切なのかを再認識できる機会となった」と、これからの地域医療を考えさせられる機会となったと複雑な思いを打ち明けてもらえた。

夕方からは、雨が雪に変わって雪見桜となった。

 

17件訪問中13件面談。全半壊は以下特徴的な報告。

・内科(地区医師会副会長)

 待合室の窓ガラスが破損。建物全体に足場やブルーシートが敷かれており、いまだ修理が完了していない中で、診療を再開していた。震災から一ヶ月経過したが、今後は「地区医師会-大学病院」と連携して在宅患者へのサポートへ力を入れて行きたいとの事。震災直後は沿岸地域の避難所へ支援に行っていたとのこと。

・小児科

外観は目立った損傷は見慣れなかったが、面談の中で、水道が使用できないとの事が判明。建物2階は復旧したが、1階(診察室)はトイレも使用できない。今は診療を頑張りたいとのこと。

 

・歯科(ビル診療)

テナント2Fで診療していたが、明らかに全壊。内部も損傷がひどい。歯科チェアがどの位使用できる状態なのかも分からないが、この地域で診療を再開することを目指している。

・内科

診療所の被害としては、震災直後は水道が止まって、トイレも使用できない状態だった。患者だけでなく、トイレも使用できないので、1週間くらいは午前のみの診療を強いられた。むしろ自宅の被害が甚大で、家が傾いていて、中に入れない状態。現在は、実家(診療所裏)にいて、何とか生活しているとのこと。

※その他、全体の印象

・           報道されている医薬品不足を指摘する先生は、ごく一部の薬を除き、一人しかいなかった。ただ、ゴールデンウィークが近付いていることから、2週間分の投薬では、連休中に無くなってしまう患者が現れてきている。

※出された要望

・           一部負担金の猶予について、通知文章が分かりづらいうえ、患者への周知が出来ていない。窓口でお話しすると初めて知ったという患者が多いので、診療所用の周知ポスターがあれば助かる。

・           “猶予”だと後から請求されるので、今の内に払っておくとの患者もいて対応に困るので、“猶予”ではなく、“免除”にして欲しい。

・           全壊した診療所を再開する場合に、諸々の届出等を簡素化してもらいたい。

・           震災被害で、診療所を立て直す場合や、医療機器を買い替える場合(修理も含め)に、税制上でも措置をして欲しい。

 

[B班(知念・納富・前島)-仙台市泉区(訪問19・面談14)]

19日は、宮城協会の行った被災状況調査への回答があった(安否確認の出来ている)、一部損壊・全半壊の開業医を対象に訪問した。仙台市主要部より北に位置する泉区は、津波の被害は無く、地震動による被害が散在している状況。区内を回った概観では、地盤の状況により局地的に大きな被害をうけた地域もあった。

一部損壊の医療機関では内外壁・駐車場のひび割れ、設備の破損、薬品・カルテの棚が倒れる等の被害が目立った。片付けに追われ、水道・電気が復旧しない中でも、全ての医療機関が早期に診療を再開していた。

ある内科の先生が、「壁のひび割れを補修した途端に余震でまた壊れてしまい、薬もカルテもめちゃくちゃになったのを二度片付けた。薬がないと困る患者さんがいるからやめようとは思わない。」と、語られたのが印象に残った。

また全半壊の医療機関では、壁の崩れと、柱や基礎への損害が深刻なため、仙台市から「危険な建造物」に指定された整形外科や、ショッピングモールの4階で開業しているが、その階から上が閉鎖されてしまい、先生(自宅は気仙沼)との連絡もこちらからは行うのが困難な歯科医院。

外壁全体が崩れ、足場とシートに全体を覆われた医院は、外観からはとても診療を行っているようには見えないが、透析の患者さんを他院へお願いし、外来のみを行っていた。正面玄関は使用不可のため、従業員用の通用口を臨時で出入り口としていた。5・6人の患者さんが待つ待合椅子の真上の天井は崩れ落ち、鉄筋と配管がむき出しになっている。また壁の崩れと、柱や基礎への損害が深刻なため、仙台市から「危険な建造物」に指定された整形外科などがあった。

 

 

■(4/12~13) 保団連支援隊 岩手県沿岸地域を訪問

4月12日から13日にかけて保団連支援隊2名<小林・耕、堀江(保団連)>は、11日に行った畠山事務局長との打ち合わせをふまえて、県内沿岸部地域の被害状況を把握するため、町役場や医療機関を訪問しました。(4月14日の行動については既報)

 

【4/12 宮古市以北地域を訪問】

 岩泉町と田野畑村、普代村、野田村を訪問し、岩泉町と田野畑村では直接役所の担当者からお話しを伺うことができました。

<岩泉町>

 町役場の担当者からは、沿岸部の小本(おもと)地区で甚大な被害があったが、町役場や済生会岩泉病院は機能しており、現在6カ所の避難所に対して、保健師が巡回面談を行い、ニーズを把握しながら対応するなどの活動をすすめているとの話しを伺いました。

 小本(おもと)地区で床下浸水されたS医院が現在避難所から毎日通いながら診療を再開されています。S医師からは、現在、薬剤を注文してもなかなかとどかないとの話しを伺いましたので、支援物資からロキソニンやマスクなどお渡ししました。在庫が少なくなっていたとのことで、大変喜ばれました。

 

<田野畑村>

 村役場及び保健センターの担当者からは、国保診療所と保健センターが連携して、震災当時から現在まで医療、保健活動を行っており、一定機能しているとの説明を伺いました。鉄道の復旧が一部にとどまっており、宮古市や久慈市の医療機関への通院が困難なケースもあるとのことで鉄道の復旧がまたれる状況でした。

 

 盛岡市内からの主要幹線道路は、ところどころ工事中のため片側交通規制などがありましたが、ほぼ問題なく通行可能でした。ただし、断崖で有名な北山崎などに向かう道路は通行止めとなっていました。

 

【4/13 大槌町を訪問】

 町内は甚大な被害を受けており、高台にある中央公民館にある災害対策本部を訪問し、会員の安否を確認するとともに、避難所で医療活動を行っている先生を訪問しました。

M医師は、障害者支援施設四季の郷と災害対策本部のある中央公民館で医療活動を行っているとのことでした。当日は、中央公民館ではなく四季の郷の方で医療活動をされているとのことで、直接お会いすることができませんでした。

 

弓道場が避難所になっており、そこに避難され、同地で医療活動を行っているU医師にお話しを伺うことができました。

U医師からは、避難当初は、一人で対応していたが、その後長崎大学とAMDAの医師の協力を得て、現在はある程度落ち着いてきている。検査ができないため、慢性疾患のケースでどのような経過をたどってきたのか調べられないのが心配である。現在、釜石病院の入院が機能していないので大変だが、現在宮古病院で対応してもらっているなどのお話しを伺いました。

 

 

■(4/14)岩手、避難所回って歯科医療進めたい

4月14日、保団連支援隊の2名<小林・耕・堀江(保団連)>は、岩手県の釜石市の被害の状況を把握するため市役所や医療機関を訪問し、支援物資を届け被災会員に見舞金を手渡しました。

 

【行動参加者からの報告概要】

市内の医療機関の状況を確認するため、シープラザ釜石にある市の災害対策本部を訪問。バン1台分の医薬品・衛生材料、水などを対策本部に届けました。同市からは、市内医療機関診療状況一覧等の資料を入手。偶然、シープラザ釜石にて、市内の被災歯科医療機関と県歯科医師会との相談会が間もなく開催されるとの情報を得ました。相談会の合間に参加されていた井上宏紀先生、工藤英明先生、三浦孝先生、佐々木憲一郎先生(4医療機関とも釜石の沿岸部にあったため、壊滅)に個々に状況を伺いました。見舞金を手渡し、4月会費の免除措置をお知らせし、復興のための参考資料を差し上げました。4人の先生とも、異口同音に、見舞金や会費免除はありがたいと述べられました。

 

井上先生は、ご自宅は被災しておらず当面街の復興をみながら、仮設での再開を目指したいとのことでした。なお、この日の相談会開催の情報は、事務局が先生の医療機関の被災現場に掲示されていた連絡先に電話をした際にご提供いただいたものです。

工藤先生は、仮転居先である野田村の旧黒田医院に避難中であり、医院の復興は見通しが立たないと述べられました。

三浦先生は、ご自宅は大丈夫のようでしたが、今後の医院復興の見通しは立たないとのこと。

佐々木先生は、2メートルを超える浸水のため、釜石市内の知人宅に避難中。今迄の場所で再建したい。半年のうちには再開したいと意欲を語っておられました。

 

 県歯科医師会との相談会に参加された関係者の話では、県歯からは、早急に仮設診療所開設をとのアドバイスがされ、県歯側は資材等の支援をしたいと表明したとのことでした。

 

 被災後の釜石市内の被災医療関係者の動きについて、井上宏紀先生には、次のようにお話しいただきました。

 被災一週間後から県歯より歯ブラシが届き、釜石市保健福祉課の歯科衛生士、保健師さんたちと避難所まわりを開始しました。そのころより、県歯からの依頼で、検死、検案を1週間ほど避難所でやりました。その後は県歯から歯科医師の派遣があり、検死、検案を替わっていただいたので、避難所まわりに力を注ぐことができるようになりました。被災された歯科医師は、皆さん週2~3回の避難所まわりをしています、釜石市内の60箇所程ある避難所をそれぞれ3~4箇所受け持っておられます。

 5月末までの患者窓口一部負担なしの時期は避難所を回って歯科医療活動を進めたい。それ以降は、仮設での診療開始か、勤務医への転進を選択するかを個々の先生で決めていただくことになるでしょう。

■(4/9-10)近畿などの歯科医師6人・医師1人が岩手支援

大阪歯科、兵庫、和歌山、京都歯科と福岡歯科の各保険医協会に所属する歯科医師6人・医師1人など12人のグループが4月9、10の両日、宮城県石巻市、名取市の避難所で医療支援に当たった。大地震に大津波、さらに余震のストレスで極限の状態にあり、依然として圧倒的なマンパワー不足にあることが分かった。参加した歯科医師らは「亡くなったり体調を崩す人をこれ以上出さないためにも、医師・歯科医師の派遣を急ぐ必要がある」と強調する。

 

 9日は午前5時に東京を出発し、東北道を北上。同11時に仙台市内に。宮城県保険医協会で被災地の状況を聞いて、午後2時から600人が避難する石巻中学校、午後4時頃から300人がいる石巻高校に。3班に分かれ、体育館や各教室の避難者たち1人1人に声掛けし健康状態などをチェックした。

 その結果、義歯を津波で流されたり、逃げる際に壊したり歯が折れたりして満足に食べられないなど、歯科に対するニーズが非常に高いことが分かった。また、多くの避難者で1週間前までは正常だったという血圧が高い数値を示し、歯肉が腫れるなど、震災から1カ月近くが経過して、健康状態が悪化した人が目立った。

 避難所では、炭水化物に塩分を加えた食事が中心になっており、「残さず食べないといけない」という。偏食や栄養不良がうかがわれ、中には、持病の糖尿と高血圧などで17種類の薬を飲んでいたが、震災後は中断しがちで、偏食やストレスから血圧が200を超え、起き上がることも難しくなった女性も。体を適度に動かすことや食事指導をし、早急に専門医を受診するよう強く勧め、同行した市の保健師にもその旨伝えた。

 翌10日は朝から400人余の名取市文化会館に。「掛かりつけの歯科医院が倒壊したため困っている」「支給された歯ブラシが硬すぎて歯肉から出血する」「子ども用の歯ブラシはありませんか」などの声が多く寄せられた。

 「入れ歯が少し歯肉に当たって痛い」との男性の要望に、義歯を研磨するなどした。「歯肉からの出血がひどくなった」男性には歯科衛生士が歯間ブラシなどを用いて歯肉マッサージ。「これでようやく安心して食べられる」と笑顔が戻った。

 避難所は1000カ所をゆうに超え、状況は異なるが、プライバシーもなくストレスは想像以上に大きい。また、自宅で1人で生活している高齢者も少なくない。医療、歯科医療を十分に受けられず、被害はさらに拡がる様相だ。参加した中津正二医師(脳神経外科)は「今行かないで、いつ行くのか。被災していない地域の医師、歯科医師の出番だ」と話す。(保団連理事・杉山正隆)

■(4/13)宮城、厚労省通知などを丁寧に周知

歯科のユニットは塩水に浸かると、真水(河川の洪水等)での浸水と違って(真水の場合は修理可能とのこと)、細かい粒子が機械に入り込み、修理が困難とのことです(ユニットの修理のために派遣された保守担当者がそのように話したとのこと)。この点についても情報を収集し対策を講じる必要があるのではと思いました。

 

来週から(4月18日~)、4月下旬から、5月初めから、5月連休明けからと、診療再開を予定している医療機関が多くありました。これらの医療機関では、この間、診療室・受付・待合室の修繕・清掃、浸水したカルテの乾燥、電子カルテの復旧、医療機器の交換・修理等々に一所懸命取り組まれてきており(先生方・スタッフの注意が医療機関の復旧に集中)、情報不足も相まって、一部負担金免除の取り扱いへの窓口対応をどのようにしたらよいかなど、診療再開にあたって不安を感じているようでした。被災の状況(全壊・流出、半壊・床上浸水1m以上、一部損壊・床上浸水)によって、医療機関の復旧に時間差があり、それぞれがその時々によって意識や要求が異なると思われます。厚労省のこの間の通知など震災対応の特別な取り扱い等を、繰り返し丁寧に周知していく必要があると思いました。

 

 

■(4/8~10)宮城支援に歯科医師送る…東京歯科協会

(*個人名は伏せ字にしています)

東京歯科協会は4 月8 日~10 日にかけ宮城県に役員ら3 名を派遣し、東松島市、石巻

市の避難所など4 カ所の状況を視察。また、その居住者で歯科治療の希望する

方に対し、義歯の修理・調整、脱離冠の再装着、急性症状に対する投薬など必

要な措置を行った。

東松島市 人口43,153人、世帯数15,075世帯

死者920人、避難者3792人、避難所58カ所(4/11現在)

石巻市 人口162,822人、世帯数 60,928世帯

死者2698人、避難者14776人、避難所125カ所(4/12現在)

 

概要

 

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