私的なことで恐縮ですが、今年の2月に祖母が93歳で永眠しました。その当日まで福岡の田舎の一軒家に一人で暮らし、介護保険も使わずに掃除・洗濯・食事などすべて一人でこなしていました。それが、前日から急に体がだるくなったと私の母に連絡が入り、娘達が到着した数時間後に静かに息を引き取りました。住み慣れた自宅で、誰にも迷惑を掛けない、親類皆が認める「理想的な最期」でした。 祖母の死をきっかけに「理想的な最期」とはなんだろうかと考えていたところ、平成24年度診療報酬改定がありました。今回、がん患者の在宅での看取り推進のために高い診療報酬が設定されました。厚生労働省の「皆が自宅での最期を理想としている」というデータがその根拠だと聞いています。 しかし、癌の末期で、自宅で最期を迎えることができる人、またそれを希望する人はどれぐらいいるのでしょうか。私が泌尿器科医であることから、どうしても血尿やカテーテルトラブルで最期まで目が離せない患者さんの最期を診る機会が多いためか、自宅でがんの最期を過ごすことは、本人や家族にとっての負担はかなり大きいのではないかと思います。 国立がんセンター元総長の垣添忠生先生の著書「妻を看取る日」には、肺がんを患った奥様の「家で死にたい」という希望を叶えるために、垣添先生自らが自動注入ポンプの使い方をマスターして、点滴道具や鎮痛剤などの薬剤を自宅に持ち帰り、大みそかの日に「理想的な最期」を自宅で迎える様子が記述されています。感動的な本で、何度も読み返していますが、これは第一線を退いた医師だからできたことで、誰もができることではないと思います。 在宅医療の活性化は国の方針でもあり、患者さんの為に真摯に取り組んでいる医師も多く、在宅医療の考えはすばらしいことだと思っています。しかし、家族の事情や病状のために自宅へ帰れない患者さんも多くいるはずです。そのような自宅へ帰れない患者さんの引き受け先として有床診療所の役割は大きいと思います。今回、有床診療所にも看取り加算や緩和ケア診療加算がつきました。しかし、自宅で最期を迎えることができない患者さんやその家族が「理想」と感じる最期を迎えるために、私たち医者や看護スタッフにかかる労力は非常に大きいのは当然のことです。 前述の「妻を看取る日」には「妻のように外出のできない末期の患者さんにとって、病室は自分の世界のすべてであり、そこで生涯を終えるかもしれない大切な場所である。」と書いています。しかし、今の保険点数でそれを実現することは至難の業です。遺族の方から、「この診療所で最期を迎えることができて故人も私たち家族も非常に満足でした。」という言葉がせめてもの救いです。はたしてこれでよいのでしょうか。
(理事 南里正晴)
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