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わたしたちの主張
平成23年2月15日

タイガーマスク運動について
  ~主人公「伊達直人」の苦悩~

 昨年の十二月二十五日「伊達直人」を名乗る人物からランドセルが贈られたことを契機に全国の児童養護施設への寄付が相次いだ。
 故梶原一騎先生の連載が始まったのが一九六八年なので「伊達直人」を知る世代は今の四十から五十歳代になるだろう。今年四十二歳になる私も「タイガーマスク」世代である。コミック全巻はもちろんアニメ全話のレーザーディスクも持っていた。子供のころの夢は「医者になってお金を稼いで孤児院に赤いスポーツカーに乗っておもちゃをプレゼントする」ことであった。(ちなみに伊達直人が乗っていた赤いスポーツカーはランボルギーニ・エスパーダがモデルでとても買えません。) 
 ところが中学生時代にタイガーマスクの原作を読み直したときにある問題に直面した。
 「タイガーマスク」は悪役レスラーとして成功し、手に入れたお金を自分が育った孤児院「ちびっこハウス」へタイガーマスクであることを隠して寄付していたのだが、孤児院の資金難のために「虎の穴」への上納金までも寄付してしまい命を狙われるというストーリーである。「無償の愛」がテーマと思われているので現在の匿名寄付運動に「伊達直人」が使われている。しかし、梶原一騎先生のメッセージはそうではなく「伊達直人の苦悩」が本当のテーマだと私は考えている。
 マンガの原作は以下のように展開している。伊達直人は「ちびっこハウス」へ寄付をしているうちに自分の行為に違和感を覚える。彼は全世界に恵まれない子供たちが多く存在することを知り、目の前にいる子供たちへの寄付は単なる自己満足にすぎないことに気づき、大きな絶望感に苛まれてしまう。そして彼は海外へ飛び出し賞金が高額な”ワールド・リーグ戦“に参戦し命がけで獲得した賞金で世界中の恵まれない子供たちが集える”ちびっこランド“を建設しようと決心する。しかし志半ばで交通事故に遭遇し死亡してしまうのが原作マンガの結末である。だから、「タイガーマスク」は「個人の力には限界がある。では多くの人々を幸せにするにはどうすればよいか?」という梶原先生からのメッセージだと少年時代の私は理解していた。
 連載が終了した四十年後、全国に「伊達直人」が多数出現して寄付活動を日本中に展開するということは梶原先生の問いに対する「タイガーマスク世代」の一つの答えかもしれない。それならば一過性のものにしてはいけない。しかし、個人の慈善活動も重要だがもっと政治主導で解決しなければならない問題であるようにも思われる。
 今回は児童養護施設への「無償の愛」がクローズアップされたが医療問題においても医療従事者の個人的な「無償の愛」や犠牲でなりたっている部分がいまだに多いと感じる。個人の力には限界がある。
医療従事者である私たちは何をしなければならないのか?私の中の「伊達直人の苦悩」の答えはまだ見つかっていない。
(理事 南里 正晴)

 

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