最近のキーワードに地方分権があります。国の紐付き予算を廃止し、地方に自由に効率的に活用してもらうとてもいい響きの政策です。もちろん、旧来の大きな政府での非効率性などの弊害もありますから利点もありますが、これが医療・福祉に適しているかといえば否と思います。
マスコミがあまり取り上げない水面下で、すでに医療分野において公的保険は広域連合から都道府県単位への移行が進められています。問題点は国の借金はそのまま地方に移行し、財源は地方に擦り付け(新たな地方税などで取り立てなさい)という強引なものです。都合の良いところだけ地方分権を叫び、紐付き予算(権力)は手放さず、更に公費負担を確実に減らしています。まんまと財務省ペースで事が進んでおり、とにかく今最悪な状況です。
我が国は世界に類をみない超高齢社会であり、当然ながら医療費は年々増大します。すると通常は医療費の増大は保険料に跳ね返ってくるのですが、地方分権で競争下に置かれた自治体は更なる税収(人口)の落ち込みを避けるためや低所得者対策として保険料は上げられず、必然的にサービスの制限に向かうような意図が仕込まれているわけです。更に地方分権で知事の権限が強大化すれば、都道府県別の診療報酬体系も導入しやすくなります。つまり同じ国民でありながら皆が同じ医療が受けられなくなるわけです。
当然日本全国津々浦々、様々な町があります。雪深い村、南国、工業地帯、商業地帯、農村…それぞれに個性という差異があります。町が違ったら医療も違っていいのでしょうか? これは個性ではなく格差と表現すべきでしょう。生産人口(税収)の多い大都市は更に発展し、過疎地区では先の理由から新薬や現代的治療が受けられなくなる可能性があります。もちろん選挙で民意が反映されるわけだから問題ないとの意見もありますが、果たして選挙で我々は全ての政策を判断して投票しているでしょうか?その時の時流で決まってしまって、個別の争点は埋没してしまいがちです。確かに、肝炎訴訟や子宮頸癌ワクチンなど政治によって動きが変わることもあるでしょうが、それはあくまでも各論分野であって、国民の安全を守る基盤である医療はしっかりと根を下ろしてデザインしていく必要があるでしょう。
医療費亡国論に支配された財務省ベースの支出を抑えるだけの施策はすでに行き詰まっております。我々は本来の医療のあるべき、そして果たすべき役割を基本に立ち戻って考える必要があります。今回の地方分権は経団連(財界)も別の意図で推進しております。我々医療人はあくまでもコマーシャルベースではなく、医療のあり方を研究・理論武装し、国民、政党、官僚に啓蒙していく責務があると思います。
(理事 田中 寿人)
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