以前の当新聞の「曙」で私は石田三成が忠義の臣であると書いた。もう少しその理由を書いてみたい。
石田三成は頭が切れ優秀で徳川家康が最も恐れた人物であったことは間違いない。徳川家康は三成の居城、佐和山城を落とすと城を破城処分(徹底的に城を破壊すること)とし、石田家代々の墓まで掘り返し城同様、破壊している。
一昨年私が佐和山城を訪れた際、石垣など当時を偲ぶものは一切なく、石垣の一部であろうと推測される巨岩が1つあり、三成の悲劇を静かに訴えていた。三成は徳川幕府の意図的な歴史捏造によって長く後世に至るまで利休処断、氏郷毒殺、秀次切腹の陰謀の黒幕にされ佞臣として貶められてきた。歴史ドラマでは大徳寺の山門上に利休の像が置かれていることを三成から暴露された秀吉が「お前の像の下を私がくぐるのか!」と怒り心頭に発して利休に切腹を命ずるのだが、史実は暴露したのは前田玄以であり、関ケ原の後、処刑された三成の遺骸を引き取ったのは大徳寺自身である事から考えても彼が首謀者とは考えにくい。蒲生氏郷の毒殺にしても、その時三成は朝鮮に渡っており日本にいない。何よりも病死である事を伝える史書が残っている。有名そして悲惨な秀次事件にしても三成は秀次への詰問使であり、連座した者の取り調べはしているがそれ以上の関与を示す史料はない。
それよりも関ケ原で三成の部下として最後まで奮戦したのが先程の蒲生氏郷、秀次の遺臣であったという事実が興味深い。自分の主君を貶めた張本人の家来になり命を捨てて戦えるのか…。
さてこれから先は歴史書に任せるとして、いよいよ4月は診療報酬改定である。先日の高橋泰先生の講演で述べられた通り、厚生労働省はビックリするくらい全国的な医療に関するデータを持ち合わせていないそうである。
2年前に整形外科開業医の平均年収4200万円の数字がマスコミに踊った。私は目が飛び出し耳を疑いビックリしたが、これにしても川崎議員の政策秘書から厚生労働省に問い合わせてもらったところ、厚生労働省はこの数字に責任はなく、財務省の主計局が東京のいくつかの整形外科病院を対象に出した数字との回答であった。
開いた口がふさがらない…江戸時代を通じて徳川中心の史観が造られたように、診療報酬が財務省、厚生労働省中心の医療の事実に反した改定とならない様、願うばかりである。
(副会長 佐藤 直人)
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